米ノ津東地区コミュニティ協議会

米ノ津東地区名所案内

米ノ津東地区には歴史的な名所がいくつかありますのご紹介します。江戸時代後期に薩摩藩により編纂された三國名勝図會(さんごくめいしょうずえ) でも紹介されています。三國とは島津家が支配していた薩摩、大隅、日向のことで、この三國の名所の歴史や名産物を風景の絵図を描いて紹介したものです。
加紫久利神社(かしくりじんじゃ)
三国名勝図會によると、近くにある矢筈岳を加紫久利山と呼んでいたため社名を加紫久利神社としたとあります。祭神は天照大神、多紀理毘売命などで、創建は神代とも2000年前ともされていますが、大宝2年(702年)頃建立されたようです。その後薩摩に入った島津家の尊崇も厚く、薩摩の総社として社殿の造営にも当たりました。薩摩二ノ宮とも云われています。 明治10年(1877年)の西南戦争により全焼し、社殿はおろか歴代伝えた宝物すら失いました。同13年(1880年)に社殿は再興されたものの、その後の新田開発などで境内を大きく浸食され、戦後には社殿崩壊の危機にまで瀕しました。現在の社殿は地元有志の寄付により昭和36年(1961年)に再建され、平成元年(1989年)に改築されたものです。
米ノ津天満宮(菅原神社)
御祭神は菅原道真で1789年に建立されました。篤姫が江戸に向かうとき立ち寄ったとも云われています。境内には撫で牛の像があり、牛を撫でると運気が上昇するということです。絵図には天満宮の右側には番所が描かれていますが、ここは入出国の港でもあったようです。
名護浦(現名護港)
現在の名護港の江戸時代の様子です。左側には箱崎八幡が見えます。ここは現在と同じで漁港だったようです。。
野間の関跡
江戸時代は各国との通行を固く禁じていましたが、薩摩藩は独自の封建社会により二重鎖国ともいえる厳重な取締を行っていました。肥後との国境にある野間之関は、薩摩第一級の番所であり、その峻厳さをもって全国に知られていました。「薩摩びと、いかにやいかに、刈萱の関もとざさぬ世とは知らずや」高山彦九郎があまりの出入国の厳しさに書き残した一文です。1600年前後に設けられた薩摩の三大関所のひとつです。現在の門や柵などは再現されたものです。